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ニート二ヶ月目なのどう考えてもやばい。

 

 

昨日は家の片付けをして同居人を恵比寿に迎えに行き駄菓子屋で紙飛行機を買い中目まで歩き途中で芸人さんの企画のインタビューに答えて帰宅。

全部歩きだし普通に疲れるけど楽しかった

歩いてる途中のたわい無い会話が好きで、三文字しりとりとか一緒に見てたお笑いのここが面白かったとか、内容を細かに覚えてはいないけど、その空気感とか笑ってた時間を思い出して、

ここで、嬉しくなる、幸せになる、心が温まる。と記すのが適切なんだろうけど、その言葉で素直に表すのは何か引っかかるものがある。何か、とはわからないけど。

 

その後、家でダラダラして近所のサンドイッチ屋でビールとナチョスを食べてまた家に戻り、うちの一人でも狭く感じるユニットバスにお湯をため、ビールとタバコと入浴剤を入れて好きな音楽を聴きながら幸せだ〜って話してた。

 

fight song/Rachel Plattenを同居人が流し始めて、お前にあってる。って言ってくれたんだけど、要約すると

”誰一人信じる人がいなくても、逆らえない大きな波に流されていても、わたしの中にこれまで培ってきたたくさんの闘志を、燃え盛る炎を、わたし自身で信じてる。わたしは強くなる、この歌を歌い続ける、これがわたしのファイトソング。”

って感じなの。

同居人がそう思うの間違ってない、もしかすると、近しい人はそう思うのかもしれない。

わたし自身そのスタンスだし、あってるけど。表に見せないようにしてきたつもりだし、わたしのことを何も考えてないんだろうなって思ってたから、多分そういう風にわたしのことを捉えてるのは、一緒に過ごす時間も物理的な距離も全部誰よりも近いから普通だし当たり前のことだけど、わたしのことをわかってくれてるみたいで嬉しかった。

 

日常に同居人がいることが普通で、今まではそこに何も感じなかった。すぐ彼女でもセフレでも作って出ていくんだろうなーとか考えてた。なのに、2月に入院したのを境に自分の心境がどんどん変わっていくのがわかった。

より、大事に大切に、好きだなと、強く思うようになった。怖かった。

人と近付くのが苦手で避けてきたのに、こう思うようになってしまった自分が怖い。

昨晩、少しだけ泣いた。この関係性には必ず終わりがある、それをわかっていながらも拒んでるわたしも、そばにいたいと思うわたしも、全部が怖くて、今の楽しい時間がなくなってしまうことが怖くて。

そういう時に優しいのが、同居人のいいところでずるいところだ。

 

 

まあよくあることで、一晩眠ったら考えは改善された。

全ての物事には終わりがある。からこそ、終わりを恐れるのではなく、その有限な時間を目一杯楽しむことが一番自分の経験や糧となる。

 

だからと言って、丸くはならないように気をつけること。棘を持って、自分の目標を、こうなりたいと描いてる姿を、ぶれないように、見失わないように、従来通り自分自身を一番に考え行動するのが目標への近道だから。

 

結局、RPGと同じで、地道に経験値を積むのが長いけど早く現実的に価値を掴み取れるので、地道にやっていきましょう。

 

 

わたしは大丈夫。もっと強くなれるし、今までも目標を達成してきたから、必ず今後も達成できる。反骨精神、反発心、これを忘れずに。

自信がない理由の一つは、自分には何も他人に見せられる価値がないからで。でも今しようとしていることの努力をもっとたくさん地道にやっていけば、必ずわたしが欲しい価値はつくし、他人の言動や態度にもっと振り回されなくて済むから。

 

これからも、終わりがある人との時間を目一杯楽しんで、早く自分の価値をつけられるように、今ある自信を忘れずに、楽しくいきましょう。